INTERVIEW PAGE ATELIER KEI+中村恵子

中村恵子さん
「ATELIER KEI+」主にボディジュエリーを手掛けるほか、絵本の制作にも取り組んでいる。
江口真一さん
「ATELIER KEI+」代表取締役。アート作品の創作・販売などのため、2014年「ATELIER KEI+」を設立。

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「ボディジュエリーは新しいスタイルのボディアートです。」

―中村さんはボディジュエリーを作成しているということで、この言葉自体、初めて伺ったのですが、これは肌に直接施すものなのでしょうか。

中村:そうですね、肌に直接貼るものでシールタイプのものを作成させて貰ってます。パウダーを使って、肌に直接アートをして上から糊をのせるっていうタイプのものもあるんですけれども、それとは違って、シールタイプにして肌に貼って気軽に楽しんで頂くものです。

江口:ボディジュエリーそのものだと、したいなと思ってもすぐには出来なくて、実際にお客様がアーティストさんのところに行って描いて貰わないといけない。
でも、シールタイプだと最初からデザインが出来上がっているので、それを購入して、肌に貼って使って頂くだけでいいんです。だから海外旅行に行って、ビーチで使ってみたいなって時に、すぐに貼って使うことが出来る。そういう意味でシールタイプっていうのは、他とは違ってより使いやすくなっていますね。

中村:日本では、特に女性の中ではブライダルやイベント事でよく用いられていまして。グリッターって言われる、ボディジュエリーに使う、きらきらしたパウダーがあるんですけれど、それを糊で肌につけていくと、宝石やアクセサリーの代わりとして使えるんです。アクセサリーを使わない分、ボディを見せるっていう。ブライダルでは胸元から上のほうはほとんど露出していますから。

―中村さんがボディジュエリーを知ったのも、そういったブライダル関係のお仕事をされていたからでしょうか。

中村:ブライダルのお仕事をしていた訳ではなくて、自分がアートの世界を勉強している中で、ボディジュエリーを知ったんです。綺麗だし、すごく素敵で、女性を輝かせる一つのアイテムとして使っていけるんだなと思って。また、海外の方にアートを広げていきたいという思いがあって、元は海外から入ってきたボディジュエリーが日本で進化して、それがまた海外に戻ってさらに進化していったら、もっと喜ぶ人が増えるんじゃないかって。ボディジュエリーは、元はアメリカの方で始まっているんです。
ダイヤモンドパウダーっていうものがあって、それが日本に入ってきて。日本では、最初に福岡の女性がボディジュエリーを始めていて…。

江口:肌に描くタイプは、その場でその人の肌に合わせて作っていくことができるんですけれど、シールタイプだと、あらかじめ作ってあるものを使うので、アートをする時間が短くて済む代わりに、ちゃんと肌にフィットするかどうか、簡単に落ちたら困るだとか、そういった問題がありますね。作品の完成度が高いことは勿論、製品としての完成度も求められるので。なかなかみんな同じように使えなかったり、どういった糊が良いのだとか、台紙の素材はどうするかだとか。そうやって、色々試行錯誤して作って頂いたのが、シールタイプのボディジュエリーなんです。アートだけじゃなくて制作をトータルで、最初から最後まで色々とアイデアを駆使してやっているところです。

―――中村さんは元々、学生の頃からアート関係に進もうと考えていたんですか?例えば専門学校や、アート関係の学校を出られていたりとか。

中村:そんなことはないですよ。高校を卒業してすぐに働き出して、その時はスーパーに勤めていました。マネージャーとしてレジに立ったりだとか、色んなことを任せて頂いていたんです。その中で仕事の一つが、手書きのポップを作ることだったんですね。手書きの温かさを伝えたいっていう思いがあって、元々、絵を描くことがすごく好きで、ボディジュエリーはそこから繋がって派生をしただけで、元は絵を描くことから始まっているんです。
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―可愛い絵ですね。

中村:ありがとうございます。今回新しく絵本を作って、女性の方に多く見て頂いたんですけれども、元々、のストーリーの原本が、人と人とで繋がること、努力して広がっていくことを、眼に見えるお花に喩えたものになっているんです。根っこって、頑張って生きて根を張っていきますよね。で、大きくなるために養分を下から吸いますよね。その養分が人の心であったり、人との繋がりであったり、優しさであったり、勉強であったりする。大輪の自分を咲かせるまでに色んなものがある。色んな波があっても、それが人と人、花と花であったり、太陽であったり、周りから見てくれる人であったり。そういった色んな人がいてくれて、自分は咲くことが出来るんだよっていう。色んな年代の方に楽しんで頂きたいなっていうのがあって、今回出させて頂いたのが、この絵本なんですね。

―中村さんの絵を何点か見させて頂いたんですけれども、すごく柔らかい感じで、モチーフ的にはお花が多かったですよね。

中村:自分自身、華道をしていたことがあって、そこでお花っていうのが色んな意味を持っていることや、咲き方で全然違う顔を見せるといったことを知って、そういうところをすごく好きになって…。

―この絵本なのですが、前向きとか、明るいとか、そういうメッセージが伝わってきてとても素敵です。ただストレートに言うんじゃなくて、どこかひねったような表現というか、そういうのが多い中で、すごくストレートに描いてあることにびっくりしました

江口:彼女は非常に想いが強い方なので、その強い想いが絵やストーリーにも出てくる。おっしゃる通り、本当にダイレクトに力強く描かれているので、落ち込んだ時とかに彼女の作品を読んで、元気になって貰えればと思います。

―余計なことは考えずに、ひたすら前だけを見て、というような絵を描かれているので、すごく良いなあと思いました。それに文章も、とても直球で書かれる方だなって。あまり、子ども向けという感じはしないですよね。

20095131340147932中村:そうですね。例えば、絵本をお子さんに向けて読んで、お子さんが「お母さん、お父さんこれどういう意味?」って訊いてきたときに、お母さん、お父さんがそれまで生きてきた、それぞれの人生観で良いから、「これはこうで、ここはこういうことだよ」って言葉にしてあげる。それをお子さんが大人になっていく過程で、「あ、お母さんにこれ聞いたけど、こういうことなんだな」って、成長していく上で無意識に判っていく。「あの時お母さん、ああいうこと言ってたけど、僕・私はこういう思いだなあ」とかも。人それぞれなんだなっていうことや、温かさは変わらないんだなっていうことや、温かさは変わらないんだなっていうのを、大人になっても、また自分の子どもから教えて貰って、楽しんで頂く。
お母さんだったら、何回読み返しても、「あ、こういう想いが伝わった」とか、読むときで変わってくると思うんですね。幸せな気持ちでいるときなら幸せな文章が目につくし、悲しかったら、悲しい思いの文章が目につくし。
例えば、そんな頑張れないよって、そういうときって必ずあるじゃないですか。でも、踏ん張るっていうその力強さっていうのは、一人じゃ無理だけど、誰かからの支えがあって、繋がりがあって、支えられて、生かして貰っているんだなっていう、当たり前のことじゃないんだなっていうのを、子どもさんが実際に学びながら大人になってくれたら良いなって。その想いを、この本を読むことで、お母さんも思ってくれるんじゃないかなっていう想いをこめて、今は描いています。

中村:今は大学に行きながら児童学や教育関係を勉強しているんですけれど、自分が就職したときに、新人さんを指導したり、研修をしたりしていく中で、初めて言葉の難しさを知ったんですね。私なら全然傷つかない言葉でも、その人はすごく傷ついてしまった。その時に、ごめんなさいって思いもあるんですけれど、どうして駄目だったんだろうって思うことがあって。
言葉を判り易くするっていうのは、絵本とかに通ずるところがあると思うんですね、そこから基礎は無意識のうちに出来ていたと思うんです。
絵本は、ストーリーと絵があるから絵本ですよね。けれど私は、絵本の中の一枚の絵にも、字にもストーリーを、こめるような形で、頭の中にあるストーリーを一枚一枚の絵にこめて描いているので、それを別々に描いたのが絵本、それを私たちが出した、っていうのがあるので、絵本を描くっていう意識は、あるようななかったような。「こんな想いが伝わって欲しい」、「こういう想いを持って頂けたら、私は幸せだな」――この絵を見て頂けて笑って頂けて、癒しであったり、何かぐっとくるものを感じて頂けたら、私はすごく幸せだし、それを見続けて頂きたいなっていう想いをこめていつも作っています。

――元々あった、心、気持ちというのが、今たまたま絵本になっているという感じですかね。

中村:そうですね、アドバイスも頂いたんです。伝えていくためのアートってすごく様々だと思うんです。海外は絵だけでも、ドンッ!!って心が伝わってくるので、良いんですけれど、日本って文化が全く違って、言葉に重きを置いているんですね。だから、絵は絵で楽しんで頂いて、文章には、こういう想いをこめて書きましたよっていうのを伝える方が、日本の方に判って貰うには一番良いんじゃないかっていうアドバイスを頂いたので、絵本っていう形にしたっていうのもありますね。

――最初に中村さんが描かれたときって、やっぱり誰にも見られない状態だったと思うんです。絵を描いてるときも、個人的に描いてる時代もあった訳じゃないですか。それで、誰にも見られない状態で。でも、やっぱり描いていた訳ですよね。その時に、何を考えていたんですか?誰にも見せないから誰にも何も現状では伝えられない訳で、でも伝えたい何かを描いている。その中で、何が描き続ける要因になっていたのかなって。

レクラ7中村:毎日生きていく中で、絶対その日と同じ時は来ないですよね。その中で、今自分の、その時に思った、喜怒哀楽、それぞれの想いを誰しもが持っている。その言葉の表現も様々なんですけれども、その言葉が良い悪いなんて誰にも言われることはないし、自由に表現をして言い訳ですね。なので私が描くときっていうのは、人に見られていなかろうが、良いじゃないですか。そんなの全然自由で良いと思う。良いか悪いかなんて、色んな方がいらっしゃいますし。絵もそうだし、文章もそうだけど、生きてきた人生、流れ、環境っていうのは人それぞれ全く違うので、賛否両論あるのは当たり前だって思っているんです。
それに、日本だけで見たら狭いかも知れません。でも海外まで広げたら、いっぱいいるんですよね。この作品を素敵って言ってくれる人が、もっともっといる。さらにもっともっといるかも知れない。可能性は勿論あるし、あんまりそういうことを気にしないでもう、夢中になって描いていたりしているので、どんな風に思っても思われても、良いじゃないって。良いよって言ってくれる人がいらっしゃるから。

―では、最後に。今まで、絵が描けなくなってしまった、ということはありますか?そういうときにどうやって乗り越えてきましたか。

中村:絵を描けない期間は勿論ありました。不安とか、良いのかなとかっていう思いが混じって…でも一生懸命、どんな想いをこめても、自分で考えて生きてきた中で生まれた作品なんですよね。それだけしっかり生きてきて、自分の想いを形にして、本当に心をこめたものを描けるときは絶対にくるし、見直したときに、なんであのとき
こんなこと描いたんだろうって思ってもそれだけ自分が生きてきたって証拠だから。今描けないかもって思ったとしても、いつかきっとまた描けると思うんです。一生懸命やっていたら、必ずチャンスは巡ってくるし、そのためには、落ち込まず空を見上げるように、この本みたいに頑張ってやっていこうと思います。

―ありがとうございました。

2014.11, Vol.3

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